ここは「姫御所」と呼ばれていた所で、人麻呂が妻「依羅娘子」と暮らしていたと伝えられています。境内には、人麻呂が都に帰る際に感情を込めた歌碑があり、「石見乃也
高角山乃 木際従 我振袖乎
妹見都良武香」と刻んであります。石見の国の高角山の木の際から、わたしの振る袖を妻は見てくれただろうか・・・という切ない想いが込められている歌碑は昭和44年建立され、碑文は元大阪大学名誉教授犬養孝博士の筆によるものです。この歌碑を守るかのように、枝を傘のように広げた黒松の大木がありました。樹齢800年といわれた「人麿の松」は、高さ13.7m、根元周り5.5mの巨木。人麻呂が仮住まいした記念に植えられたといわれています。昭和44年(1969)には、県の天然記念物に指定されましたが、枯死が確認されたため平成9年(1997)1月17日に伐採されました。今はその一部が保存してあります。
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